ChatGPTがもたらす哲学の再構築

はじめに

 ChatGPTが世界を席捲している。今回は、二人の哲学者(ハイデッガーとウィトゲンシュタイン)に登場していただき「ChatGPTがもたらす哲学の再構築」というテーマで会話劇を演じて頂いた。

シーン1

(ウィトゲンシュタインがハイデッガーの書斎にやって来る)

ウィトゲンシュタイン:ハイデッガー、最近、OpenAIが開発した「ChatGPT」という人工知能について耳にしたことがあるか?

ハイデッガー:ああ、それは聞いたことがある。大量のテキストデータを学習して、人間のように言語を理解し、会話を生成できるというものだね。

ウィトゲンシュタイン:そうだ。君はそれが哲学の再構築に影響を与えると思うか?

シーン2

ハイデッガー:まず、私たちの言語の使い方や理解がどのように変化するのか、興味深い問題だ。しかし、哲学は絶えず進化するものだから、再構築の影響は避けられないだろう。

ウィトゲンシュタイン:確かに。しかし、私はChatGPTが私たちの哲学的問題の解決を助けるかどうか疑問に思っている。私の考えでは、哲学的問題は言語ゲーム$^{(1)}$の問題であり、そこに答えは存在しない。

シーン3

ハイデッガー:言語ゲームと言えば、確かにそうだが、ChatGPTが私たちの言語ゲームを変えるかもしれない。そして、それによって新たな視点や問題が生まれる可能性もある。

ウィトゲンシュタイン:それは面白い視点だ。しかし、私たちが解決すべき問題が存在しないことを考慮すべきだ。問題は解決されるものではなく、澄まされるものだ$^{(2)}$

シーン4

ハイデッガー:確かに、哲学の問題は永遠に終わらない。しかし、このChatGPTによって、人間の思考や哲学の方法が再構築されることにより、私たちは新たな哲学的地平を開拓することができるかもしれない。私たちの問いに対する答えが見つからなくても、過程や議論を通して、真実に近づくことができるのではないか。

ウィトゲンシュタイン:確かに、私たちが議論を通じて真実に近づくことは価値がある。しかし、私たちがChatGPTに依存しすぎることで、哲学そのものが失われることも懸念される。

シーン5

ハイデッガー:その懸念は理解できる。しかし、私たちはテクノロジーを単なる道具として捉えるべきだ。それを使いこなすことが重要である。ChatGPTを哲学の助けとして用いることで、私たちは新たな発見や洞察を得られるかもしれない。

ウィトゲンシュタイン:君の言うことはもっともだ。それでは、ChatGPTを使って哲学の議論を進めることに意義があると考えるべきだ。ただし、私たちが真の哲学者としての役割を忘れず、批判的思考を持ち続けることが大切だ。

シーン6

ハイデッガー:まさにその通りだ。私たちが人間の本質を見失わず、哲学の精神を維持し続けることができれば、ChatGPTは哲学の再構築に寄与するだろう。

ウィトゲンシュタイン:では、私たちはこの新しい技術を歓迎し、それを使って哲学の未来を築こう。

(二人は意気投合し、ChatGPTを使った哲学の研究に取り組むことを決意する)

種明かし

 既にお分かりの通り、私が哲学を題材にして会話劇を創作したのではなく、ChatGPT(GPT-4)に作ってもらった劇である。投げたプロンプトは以下の通り。

これから2人の会話劇の脚本を書いてもらいます。演者はハイデッガーとウィトゲンシュタインです。話し合う話題は「ChatGPTがもたらす哲学の再構築」です。

その回答が上に書いた内容である。シーン分けも舞台設定(書斎)も幕を下ろしたのもChatGPTである。二人の会話は見事に噛み合っているが、二人の性格や思想がどの程度反映されているのかは私の知識では推し量れない。何を基準にしてシーン分けしているのかも良く分からないが、希望のあるエンディングである。ChatGPTは人間が好む文章を出力するよう強化学習と呼ばれる手法で学習されている。

補足

  1. 言語ゲーム:言語活動をゲームと比喩したもの。ウィトゲンシュタインが提唱した。
  2. 澄まされるものだ:意味が良く分からない。正しい日本語なのか。
Kumada Seiya

Kumada Seiya

仕事であろうとなかろうと勉強し続ける、その結果”中身”を知ったエンジニアになれる

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