ロジカルシンキングがコモディティ化しているということに、妙に納得した話

ロジカルシンキングがコモディティ化しているということに、妙に納得した話

こんにちは!
採用担当の池田です。

私の少ない趣味の一つにスポーツジム通いがあるのですが、通っているジムは家から3キロほどあるため自転車を使っているんです。

そこでこの前パンクしたので自転車屋に修理を出したのですが、その際にイラっとしたことがあったので簡単に愚痴らせて下さい。

町の小さな自転車屋みたいなところに行き、
パンク修理をお願いできますか?
と店主の方に依頼すると、
置いといて。30分ぐらいで出来る。
とぶっきらぼうに言われたんですよね。

まぁここは一旦スルーしましょう。

そして30分後に再度訪問すると、
パンク修理とチューブ交換、あとフレームがガタついていたりブレーキが弱かった分の修理で、5,500円
とのこと。。。

いやいや待ってくれと。。。5,500円って。。。

ここで私の自転車のスペックを紹介させて下さい。

  • 5年前にアマゾンで購入したマウンテンバイク
  • 料金は税込10,000円

伝えたい不満、分かります?(笑)

5年前に買った安物チャリの修理に5,500円ってどうかしてるぜと。
完全に減価償却終わってるし、購入代金の半分以上掛かるなら新しい自転車買うわと。

ここで店主の方に多少フォローを入れると、もちろん親切心で安物チャリ&損傷激しいチャリに再度命を授けてくれたことは有難いです。

修理後は確かに操作がスムーズかつスピードが速い。今まで15分掛かっていたジムまでの時間が10分程度になったのは感謝しかありません。

そのため非常に有難い思いが5%はあるのですが、せめて事前に料金は言ってくれと。。。

そもそもパンク修理代について全く知らなかった自分も悪いのですが、店の中に料金表は無かったし、仮に料金を聞いて
じゃあ高いので止めます
と言うのもカッコ悪いので分からないまま。

そして自転車素人の私はてっきりパンクだけだと思っていたので、そこまで料金掛からないと思っていたところに、まさかの5,500円という強烈ストレートなわけです。

私がケチで器の小さい人間であることは認めます。

が、それにしても5,500円掛かると分かっていれば、メルカリで激安チャリ買いますって。

基本的に自宅とジムの往復にしか使っていないチャリですし、早朝または深夜に使うことが多いために人に見られることは少なかったので、めちゃくちゃカッコ悪いチャリでも良かったんです。

5,500円あれば、私が大好きなシズラーに2.5回行けたんです。。。
※シズラーとはサラダバーで有名な飲食店で、マッチョユーチューバーに人気

後悔しても仕方なかったので渋々お金を払おうとすると、
現金のみです
という強烈右フックで完全にノックアウトです。

現金を普段ほとんど持ち歩かない私は、近くのセブンで現金を下ろし、5年愛用している自転車を絶対に故障させないと誓った今日この頃でした。。。

さて今回は採用に携わる中でふと感じたことを書きたいと思います。

いつからロジカルシンキングの重要性が高まったのか

ロジカルシンキングという言葉自体は、既に多くの方が知っていますよね。

出来るサラリーマン=ロジカルシンキング能力に長けている
と言っても過言ではないようなイメージさえ感じます。

日本語訳すると下記のようになるようです。

問題解決にあたり、情報を分類・整理して分かりやすく論理的に解決策を検討すること

そもそも「論理的」って何でしょうね(笑)

今回の趣旨とは逸れるので一旦その辺りの議論は割愛しますが、皆さんはいつからロジカルシンキングを意識するように言われましたか???

私の話で恐縮ですが、私は紛れもなく新卒の就活時代です。

新卒の就活は、多くの方にとって初めて社会人と対峙する機会となっていることと思います。
※今の就活生は、社会人と関わるチャンスが非常に多いので、私の頃とは既に環境が違うかもしれませんね。

慣れない社会人との会話で上手くキャッチボールが出来ない中で、ほとんどの方が言われるだろうことが、
結論から話すこと、簡潔に話すこと
ではないでしょうか。

普段友人との会話において結論から話して、簡潔に伝えることってあんまりないですもんね。

今日のお昼は何食べた?
おにぎりだ。なぜなら~

みたいな感じだと不自然でしかないでしょう(笑)

ただ就活においては、何よりも結論ファースト&完結であることが優先されるみたいな感じでアドバイスを受けることが多く、そこから徐々にロジカルシンキングについて考えるようになった記憶があります。

ちなみに余談ですが、結論ファーストを意識し過ぎて不自然な就活生も結構見受けられますよね。

頻出質問の、自己PRやガクチカ、志望動機等は事前に準備するが故に台本読みのような感じになってしまうのは致し方ないのかもしれませんが、少しイレギュラーな質問においても全て結論からだと、それはそれで違和感を覚えることは多々あるので、その辺りはご注意下さい。

話を戻しますが、論理的であることがビジネスパーソンには求められる現実はありますよね。

ただ、そもそもロジカルシンキングってどうなのかなーっと思った時があったんです。

意味がないとは思わないものの、ロジカルシンキングって結局のところ正解がありませんか?

膨大なデータの中から、過去の事例や法則、学術的見解等を総合的に考慮して一つの解として導き出された結果というのは、結局のところ多くの方が辿り着く“正解”となってしまう。つまり差別化が難しい。

さらに頭の良い人、もっと言えば学歴ヒエラルキーのトップに君臨する人の方が圧倒的に得意分野だと思うので、その土俵で戦っても苦しいなと。

そのような考えをしているときに出会った言葉が、
ロジカルシンキングはコモディティ化している
ということ。

この言葉に妙に納得してしまいました。

さらに言えば、
正解がコモディティ化している
とも言えますよね。

私はロジカルシンキングを学生時代に初めて触れた時から、どこか違和感を覚えていたのですが、合理的な解に導かれるが故につまらないと思ったのが理由だったんですよね。

そしてこのような作業は、残念ながらAIが得意とすることなので、今後はより価値が薄まっていくのかなと考えています。

そのような状況を正としたときに、今後採用において重要視しなければいけないと感じることが、論理的の対極にある要素です。

サイエンスとアートという考え方

最近好きなビジネスパーソンの方で、山口周さんという方がいます。コンサル業界で有名な方なのでご存知の方はいるかもしれませんが、その方の著書で納得した考え方があるんです。

サイエンスとアート

サイエンスは論理的の意味。
アートは直感や感覚という意味。

今後はよりアートが重要になっていく。

そもそもコンサルティング業界は現在において非常に人気の業界ですよね。

そしてコンサルティングの役割というのは、経営にサイエンスを持ち込むものだと。経営は複雑な要素が絡まる中で判断が求められますが、そこに多くのデータを使用して正解の確率を上げる提案を導き出す。

いわゆるファクトベースで物事を進めるやり方ですね。

ただ山口さん曰く、このやり方は一定の地頭があれば誰でも習得可能とのことで、それこそコモディティ化していると。

このようなサイエンスの世界はある一定水準で既に完成されている状況が多い中で重要なのが、アートの世界とのこと。

直感や感覚といった上手く言語化できないだろう部分が非常に重要になってくるので、そこの能力やセンスを磨くことが重要であることを述べていました。

現に、マッキンゼーは「デザイン思考」に着目しデザイン会社を買収しています。過去のデータに基づく分析能力(サイエンス)だけでは不十分で、「エモーショナル」な部分がより重要な時代になると予測した上での買収劇とのこと。

例えば昨今若者に流行っているものを予測するのって、論理的に考えても答えって出ないですよね???

現在タピオカが非常に人気らしいですが、あんなプニプニした触感で味が無い、しかも原価が異様に安いと言われているカロリーの塊が流行る意味が分かりません。

おそらくマッキンゼーやBCGクラスのエリートが考え抜いても、このような流行は絶対に予測できなかったことでしょう。

ただ、アートの路線で考えれば、

  • タピオカって良く分からない食べ物だからこそ面白い
  • タピオカの何とも言えない触感が面白い
  • タピオカはネーミングが可愛らしくて面白い

みたいな感じで、若者に流行っていったのでしょう。。。

ごめんなさい、この辺りは全く理解が出来ないのですが、理解が出来ないからこそ流行ったのかもしれませんね。

アートの世界には正解も無ければゴールも無いのですが、だからこそブルーオーシャンな領域とも言えるので、今後はより重要な考え方になっていくのかなと考えています。

ちなみに!断っておくとサイエンス(論理や理性)が決して無意味というわけでは無いですからね。むしろサイエンスはアートの土台となる部分なので確実に必要です。アート(直感や感覚)の考え方はサイエンスが出来ていて初めて身に付く分野だとも言えるので、
これからはロジックは不要だ!自分が感じたことをあるがままに行動していこう!
みたいな感じだと博打になるので、要注意を。

エンジニア採用において重要なことはアートへの理解

ここでようやく採用について結び付けさせて下さい。

  • エンジニアが採用できない
  • エンジニアが定着しない
  • エンジニアとそりが合わない

エンジニアを抱える企業の経営者や人事の悩みとして上記があると思いますが、サイエンスとアートの話を聞いて考えたことがあります。

エンジニアはアートの要素が強い世界である
経営者はサイエンスの要素が強い世界である

この考えには賛否両論あるとは思いますが、
経営学というサイエンスの元
という条件下の話になります。

エンジニアの方と話していると、

  • 決まったルールに従うより、自分なりの価値観・道徳観に従っていたい
  • 生産性を上げること以上に、面白さを追求したい
  • 綿密な計画に基づいて行動するより、とりあえず試したい

という思考の方が多い印象を受けます。

一方経営者からすれば、

  • 決められらルールに乗っ取れば、
  • 自ずと無駄なく事が進み、
  • 期日通りに仕事を終えることができる

という合理的判断になってしまう場合が多いのかなと。

どちらも正しいからこそ難しいとは思いますが、エンジニアの採用に困っているのであれば経営者側がエンジニアの考えに寄り添う必要はあるかもしれませんね。

Google創業期にジョインしたコックさん(社内食堂)のエピソードは有名かもしれませんが、勤務初日から従業員がゲームをしたり雑談ばかりしていることに衝撃を覚え、
この会社は何をやっている会社なのか。というよりダメな会社なんだろうな
と思ったらしいです。

ここまで振り切った経営をするのはさすがに難しいのかもしれませんが、世界の一流IT企業には一流のエンジニアが数多く集まっています。もちろん報酬や名声等が得られるからこそだとは思いますが、根本には経営者がエンジニア出身で組織風土としてアートを良しとする考え方が組織風土に根付いているからではないかなと考えている今日この頃でした。

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